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戦争直後にイラクの石油をめぐって米国と英国が口論した 2016.07.07

最終更新日:2018.06.28


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[元記事]
US and Britain wrangled over Iraq's oil in aftermath of war, Chilcot shows
Report on Chilcot 2016/07/07 The Guardian
URL:https://www.theguardian.com/uk-news/2016/jul/07/us-and-britain-wrangled-over-iraqs-oil-in-aftermath-of-war-chilcot-shows

[訳者注]
John Chilcot
ジョン・チルコット、イギリス政府の元事務次官。2003年の「イラク戦争を取り巻く情勢を問う公聴会」の議長に任命された。 この記事はその公聴会に基づく。


余ったガスはバスラの南のルマイラ油田で燃え尽きた 写真:Atef Hassan / Reuters


米国と英国の政府は、サダム・フセインの転覆の後に、イラクの石油の支配をめぐって激しく 戦ったことをチルコット報告書は示している。 トニー・ブレア首相は、批判家が石油戦争と見なす侵攻について、米国人よりも関心があるように見えた。 彼は両国が「イラクの石油を奪う」ように見えれば大きな損害になると言った。

しかし、トニー・ブレアの外交政策顧問であるデビッド・マニング卿は、2002年12月9日、 ワシントンで、米国の国家安全保障担当顧問コンドリーザ・ライスに、 英国はさらに戦利品を欲しがっていると、言った。

「女王陛下の政府が、将来のイラクの石油産業の育成について議論に参加するのは不適切だ」と彼は述べ、 「それにもかかわらず、我々の英国の企業は、この分野や他の分野への公平なアクセスが必須である」と述べた。

英国政府関係者は、5月に終った侵攻の2カ月前の2003年1月23日に、 イラクのエネルギー部門の見通しについての説明会にBP(英国の石油会社)のチームを招集した。

その年の後半、英国の石油会社は、世界で2番目に大きいルマイラ(Rumaila)油田の技術的レビューを開始した。 2009年までに、BPは20億バレル採掘可能なその油田の現地生産を調達するサービス契約を獲得した。

イラク駐留英国大使エドワード・チャップリンは、2004年12月13日、 イラク暫定首相イヤド・アラウィ(Ayad Allawi)と会談した際に、「BPとシェルの利益」を上げると語った。

ブレア首相は、2003年3月31日の中東戦争ミーティングで、ジョージ・W・ブッシュ大統領に、 「政治的、経済的未来を描き、我々がイラクの石油を奪ったという神話を払拭するために」 サダム以後のイラクの姿を明確にする必要があると述べた。

しかし、英国の国防長官であるジェフ・フーンの同年の行政府説明会では、 ドナルド・ラムズフェルド米国務長官と会談する前に、 「機会の平等化:イラク再建の大きな契約。英国の命を賭ける。 石油などの分野での英国ビジネスの機会均等を期待」の必要性が議論されている。

英国の国連大使ジェレミー・グリーンストックは、予算編成と石油を、 イラクを運営する米国主導の連合暫定当局から英国が指図されない2つの最もはっきりした例であると確認した。

「我々は石油分野とは何の関係もなかった。連合暫定当局は石油部門を経営したいと考えていたので、 米国と非常に密接な関係を保った」と彼はチルコットの質問に答え、最終報告書に引用された。

一方、2004年9月6日の英国の政府職員2人の「イラクのエネルギー戦略」と題するメモによれば、 英国は世界最大の石油埋蔵量を有するイラクを活用することになっていた。 メモは「イラクのエネルギー部門の発展は、英国企業の関与の増加により補完され、 今後5〜10年にわたる持続的な投資と英国の実質的な事業につながる」と言っている。

BPはコメントを断った。


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誰の戦争か(Whose Wars)? パット・ブキャナン 2003.04.24

[訳者注]イラク戦争の目的; イスラエルは中東の仮想敵国の打倒と分割、米・英は石油利権の獲得、 さらに米国は一極支配体制を世界に宣言する目的があった。