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ウクライナ紛争の発端(2014.02) – 衝撃の新証拠:マイダンの狙撃手は、警察と抗議側の両方を撃つよう命じられたと告白 2018.02.20

最終更新日:2018.03.22


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[元記事]
Shocking New Evidence: Maidan snipers confess they were under orders from Coup leaders to shoot police AND protesters
By Ian Greenhalgh – February 20, 2018, Veterans Today
URL:https://www.veteranstoday.com/2018/02/20/shocking-new-evidence-maidan-snipers-confess-they-were-under-orders-from-coup-leaders-to-shoot-police-and-protesters/

[著者]

Ian Greenhalghは、軍事史と紛争の真の原因に特に関心を持っている写真家、歴史家。



[訳者注]
2014年2月18日に起きたキエフ・マイダン広場の狙撃は、ウクライナ紛争の発端になったと言われる事件です。 100人近くが死亡し、1000人以上が負傷しました。これは当時、親ロシア派のヤヌコーヴィチ(Viktor Yanukovych)大統領のせいにされ、 国外に脱出する羽目になりました。
しかし新しい証拠によれば、狙撃兵はグルジア人で、グルジア(現在はジョージアと呼ばれる)の 元大統領のミヘイル・サアカシュヴィリ(Mikheil Saakashvili)が指示したことが分かっています。 サアカシュヴィリは、ヤヌコーヴィチを追い出した後にウクライナの大統領に就任した ポロシェンコ(新興財閥の大金持ち)に取り立てられ、ウクライナで知事に就任しました。 しかし今年に入って政治路線の違いからポーランドに追放されました(2018.02.12)。 私は、調べていないので、親ロシア派のヤヌコーヴィチが西側メディアで言われているような 悪党だったかどうかは知りませんが、少なくともポロシェンコ、サアカシュヴィリが CIA、MI6もしくはモサドの支援を受けた悪党だということは分かります。 マイダンの狙撃は、親ロシア派を追い出すためには、自国民すら殺しても構わないとする典型的なグラディオ作戦でした。

2014年1月22日にキエフ中心部の治安警察との衝突で、抗議者は銃を向けます。 ウクライナの警察は、今日、キエフで抗議者のバリケードに突入しました。 活動家らは、1人が治安部隊によって射殺されたと語りました。 衝突中にトータル2人の活動家が死亡しました。;


[編集者メモ:4年近くかかりましたが、今はVT(Veterans Today)の報道を完全に確認しました。 2014年のクーデターで(キエフの)マイダン広場の抗議者側と警察に発砲した狙撃手は、 外国人傭兵でした。 その傭兵を雇った人物は、キエフで極右のネオ・ナチ体制の導入につながる大失態の黒幕で、舞台演出をしました。 悪質な反ロシアであり、ウクライナの豊かさと資源の大規模な窃盗の共謀になるでしよう。Ian]

[編集者のメモ2:ところで、あなたは信じられますか? 西側メディアはこの大ヒットの物語に全く関心がなく、 国連も同様です。しかし、最も驚くべきことは、モスクワでさえも、大騒ぎしません。奇妙です・・・Jim W. Dean]

狙撃手コバ・ネルガゼ(Koba Nergadze)とアレキサンダー・レヴァジシビリ(Alexander Revazishvili)は、 今、自分の命を心配していますが、ウクライナの裁判所で以下の衝撃の申し立てをする準備ができています。

それは世界に知られていない銃撃でした ー 誰でも、ウクライナ危機は2014年のマイダン・クーデターの後に始まったことは知っています。 西側ではロシアがウクライナに侵攻していないことを知っている人は少数です。 キエフの運命の日に、上から死をまき散らした謎の狙撃手のことを知っている人はさらに少数です。

企業メディアは、標準的な速記者の慣習、すなわち現代の西側ジャーナリズムの標準に沿って ー 何の証拠もなく、もちろんすぐにロシアを非難しました。 ロシアの訓練を受けた狙撃兵が、ウクライナの大統領を支持して、抗議者に発砲したと主張しています。

実際にキエフにいた人、ロシアのメディアだけでなく、独立系外国メディアは重要な事実を報告しています: そうです。狙撃兵は抗議者に発砲しましたが、治安部隊にも発砲しました。 狙撃兵は両陣営を攻撃して、血まみれの革命の怒りの炎に油を注ぎました。 それはロシア諸都市の母であるキエフを再び崩壊させました。


今は、スプートニクのおかげで、私たちは最終的に狙撃兵を特定しました、彼らはグルジア人であり、 彼らの説明はあなたに衝撃を与えるでしょう:

マイダンに混乱を作り出す必要がある。あらゆる目標、抗議者、警察に武器を使って。 「区別はない」と首謀者の一人は言いました。


スプートニクによれば、狙撃兵コバ・ネルガゼ(Koba Nergadze)とアレキサンダー・レヴァジシビリ(Alexander Revazishvili)は、 今、自分の命を心配していますが、ウクライナの裁判所で、以下の衝撃の申し立てをする準備ができています:

スプートニクは公式の証言のコピーを入手しました。それは彼ら(狙撃兵)が 弁護士アレキサンダー・ゴロシンスキー(Alexander Goroshinsky)とステファン・レシュコ(Stefan Reshko)に与えました・・・、 そして航空券のコピー、マイダン事件の間にネルガゼとレヴァジシビリがキエフに到着したことをを確認しました。


私たちがどのようにしてここに到達したかを、本当に理解するためには、メイダンでの狙撃兵の発砲の開始に戻る必要があります。 そこはスプートニクのレポートが始まるところです:

2014年2月20日、身元不明の狙撃兵たちが、キエフの中央マイダン広場に集まった人々を撃ちました。 49人の抗議者と4人の警官を殺害しました。地元の野党指導者たちは、米国とEUの代表者とともに、 すぐに「ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権」を非難しました。 公式な調査では、依然として、犯人を特定する何の成果も得られませんでした。


スプートニク特派員は、狙撃兵と主張する者に会いました。彼らは全員ジョージア(グルジア)出身です。 彼らはマイダンの指導者から命令を受けたと主張しています。 さらに、彼らは警察官と抗議者の両方に発砲せよとの命令を直接受けていました。群衆を激怒させ、 政治的危機を引き起こすためにです。

左から右へ:トリスタン・ツィテラシビリ(Tristan Tsitelashvili)将軍、アレクサンダー・レヴァジシビリ(Alexander Revazishvili)、コバ・ネルガゼ(Koba Nergadze)。

スプートニクによれば、グルジア軍のエリート・アバザ部隊の元将軍トリスタン・ツィテラシビリは、 事実を初めて明らかにしました。グルジアの狙撃兵たちが(キエフ)マイダン広場に向かって発砲しました。 将軍は、2008年8月中、アブハジア(Abkhazia)の敵地で部隊を指揮していました。 彼がミヘイル・サアカシュヴィリの個人的な敵になるまでです。 サアカシュヴィリは彼自身の失敗で将軍を責めようとしました。

サアカシュヴィリ(Mikhail Saakashvili)・・・自分のネクタイを食べるつもりでしようか? 試してみたら、できないでしよう


サアカシュヴィリ(Mikhail Saakashvili)は、悪名高い、非常に無能なジョージア(グルジア)の大統領で、ウクライナの野党のリーダーになりました。 同じく人気のないウクライナのポロシェンコ大統領によってポーランドに追放されました(2018.02.12)。彼がジョージアに追放されなかったのは幸運です。彼は、母国でも確実に歓迎されません.。

多くの人々が元ジョージア大統領に対して正当な文句を言っていますが、ツィテラシビリ将軍の問題は、 はるかに個人的なものです。彼の家はサアカシュヴィリの軍隊に襲撃されました。 そして将軍を逮捕し、小さな息子に傷を負わせました。2008年以来、2人は不倶戴天の敵です。 ツィテラシビリはロシアの友人とは見なされていませんが、ジョージアのために戦ったとは考えられています。 このことにより、彼の驚くべき証言はより信頼できるものになっています。 スプートニクの報道には、将軍からの引用が続きます:

私はすでに2014年にジョージアからの人々について知っていました。 彼らは発砲の命令を受けてマイダン広場にいました。彼らのうちの何人かは、グルジア軍で私の指揮下で働いました。 何人かはまだウクライナにいます。他の人々はジョージアに戻りました。 彼らは恐れていたので、話す時間を取りました。まだ恐れています。 彼らは簡単に、望ましくない目撃者として除去される可能性があるからです。


「多くを知りすぎている」狙撃兵の1人は、コバ・ネルガゼです。ジョージア特殊部隊員で、スプートニクも彼と話をしました。

私たちは密輸業者と戦っていました。この地域は、グルジア人とオセチア人のビジネスマンによって支配されるゾーンに分かれていました。 紛争が時折起こりました。オセチア軍との実際の銃撃戦を含みます。確かではありませんが、 私たちの旅団では11人または12人が死亡しました。全体では、グルジア軍は45人を失った、とネルガゼは語りました。


この友人は「グルジア軍団」の指揮官、マムカ・マムラシュビリ(Mamuka Mamulashvili)で、 ウクライナ東部で戦っていました…キエフ側です。もう一度トリスタン・ツィテラシビリ将軍のようにです。 この軍団は絶対にロシアの友人ではなく、キエフに対する彼らの主張は、それほど偏っておらず信頼できるものです。

軍隊にいる時に、初めて彼に会いました。友人のベゾーの誕生パーティーで、とコバが付け加えました。 公式には、トビリシで開催された集会の警護にも取り組みました。 サアカシュヴィリの支持派と反対派の間に衝突が起きないようにするためです。 実際には、我々は反対派の集会を押さえつけ、監視する仕事でした、と彼は認めました。

必要に応じて、指揮官の指示により、警備員が反対派の指導者を打ちのめします。 原則として、マスクをかけて行いました。人々は私たちを「ゾンダーコマンド」と呼びました。 警備員は普通、どこで働いか、何をしたか、については口が堅いものです。


スプートニクはさらに次のように説明しています:

エージェントは、数10に分けられました。ネルガゼは班長でした。彼が知っていた他の班長は、ジョージ・サリリゼ、メラブ・キカビデ、デビッド・マキアシビリです。スプートニクのインタビューで、コバは料金の一部を話しました。反対派議員の殴打で1000ドルを支払ったと言いました。

2013年12月に、マムラシュビリは会議に班長を呼び、彼らに命じました。すぐにウクライナに行って、抗議者側を支援せよ。ネルガゼのグループには10,000ドルが割り当てられ、戻った時に追加の$ 50,000が約束されました。

彼らは目的地に行くために他人のパスポートを使いました。ネルガゼには、Georgy Karusanidze(1977年生まれ)という名前のパスポートがありました。

「我々は命令を受けました。酔っ払ないよう、規律を守り、当局が送った民衆扇動家を特定せよ」。

ネルガゼはホテル・ウクライナで新年を祝いました。それはすでに抗議者側が管理していました。

ホテル・ウクライナは、マイダン広場を見下ろす狙撃兵にとって完璧な立地です。



もし狙撃兵がホテルから、暴動を起こしている群衆に向けて発砲し、大混乱の中心の両派を狙った場合、 戦闘は急速に拡大するでしよう。集団狂気は、狙撃兵の身元、位置、そして存在自体を隠蔽するのに役立ちます。

ウクライナホテルは左上の大きなビル


レポートは続きます:

アレキサンダー・レヴァジシビリ(Alexander Revazishvili )は元ジョージア人の軍人です。 騒乱のキエフに到着しました。彼は、グルジア軍で勤務した後、「自由地帯」(サアカシュヴィリ支持者の組織)の積極的なメンバーでした。 彼自身の言葉では、彼は「反対派に浸透する」階級で、戦いを扇動し、挑発に従事します。 この組織はコバ・コバジ(Koba Khabazi)に率いられていました。彼は、レヴァジシビリ(Revazishvili)を マムラシュビリ(Mamulashvili)に紹介しました。彼は狙撃兵としての元軍人の軍事専門組織に大きな関心がありました。

2月中旬には、レヴァジシビリ、コバジ、その他4名の「自由地帯」代表がUIA便でキエフに到着しました。 彼らはVozduhoflotskaya通りに収容されていましたが、すでに反対派が管理していた市の貯蔵所に移されました。

次の日、マムラシュビリは私たちをマイダンに連れて行き、広場のテントに入れました。 コバジは我々の仕事は攻撃する抗議者を挑発することだと言いました。 私たちのグループは、抗議者とともに、 石と火炎瓶でウクライナ警察を攻撃しました。一部の人々は岩を持ってきていました。 何人かは火炎瓶を並べていたが、他はウクライナ警察を襲いました。 レヴァジシビリは言いました。



「セルゲイ・パシンスキーは武器を持っていた」

2014年1月22日にキエフ中心部の治安警察との衝突で、抗議者は銃を向けます。ウクライナの警察は、今日、キエフで抗議者のバリケードに突入しました。活動家らは、1人が治安部隊によって射殺されたと語りました。衝突中にトータル2人の活動家が死亡しました。


マイダンでは抗議者が警察と戦っており、見知らぬ狙撃兵が両派を狙っていました。 「2月14日または15日、グループの指揮官、私、コバジ、マムラシュビリ、サラライズ、 他の人の名前を覚えていませんが、はウクライナホテルの3階のスイートに集まりました。

その中にいたのは、パルビイ(ウクライナの右派政治家、Andy Parubiy、キエフ騒乱期間中のマイダン指揮官、 2016年以降 – Verkhovna Radaの講演者)、パシンスキー(Sergei Pashinsky、悪名高いウクライナの政治家 そして実業家、 ウクライナ人民副局長)です。「我々は、兄弟たる仲間を助ける必要があり、すぐに任務を実行する」。 彼はそれ以上の説明をしませんでした。その時、私はすでに猟銃や拳銃を見ました」とネルガゼは語りました。

また、会議に参加したのは、クリストファー・ブライアンでした。以前はアメリカ軍の兵士でした。

2月19日の夕方、セルゲイ・パシンスキーと見知らぬ何人かは大きな鞄を持って、ホテルに戻りました。

彼らは、SKSカービン銃、7.62mmのカラシニコフ突撃ライフル、SVDライフル、外国製のカービン銃を取り出しました。 パシンスキーは「自己防衛のために」武器が必要だと説明しましたが、私が「誰から」と尋ねた時、答えずに部屋を出ました。 スプートニク・レポート。

彼らの物語の次の部分は、狙撃兵の最終目的が何かを実際に示しています。 明らかにマムラシュビリは狙撃兵にいくつかの「特別任務」を言いました。

「マイダンに混乱を作り出す必要がある。あらゆる目標、抗議者、警察に武器を使って。区別はない」とマムラシュビリは言いました。

彼は「出張」のお金は、「任務」完了後に支払われると述べました。


証言は次のように続きます:

誰かがジョージアのマムラシュビリに「ミーシャはどこですか?」と尋ねました。 彼は答えました:「ポラと一緒です」。そして彼らは去りました。いつかその後に、 パシンスキーと他の何人かが鞄で武器を持ち込みました。ほとんどがSCSカービン銃です。 パシンスキー自身はカラシニコフ・ライフルを持っていました。

参加者の中には、ウラジミール・パラシュクがいました。マイダンの「百人部隊」のリーダーの一人です。 その後、ドニエプル大隊の第4部隊を指揮し、ウクライナの人民副大臣となりました。


レヴァジシビリは話を続けました:

パシンスキーは私に射撃位置を選ぶのを手伝うように頼みました。 彼はベルクート[警察の指揮官]が夜間に貯蔵所を襲撃し、抗議者を分断できるかもしれないと言いました。 夜、午前4時か5時頃、私は銃声を聞きました。

私は彼らが10月宮殿から来ていると思いました。パシンスキーは飛び上り、 無線機をつかんで、撃ち方止めと叫び始めました。射撃は直ちに止まりました。

午前7時半頃(多分その後だったかも)、パシンスキーは皆に射撃準備を命じ、 2〜3発を奪って直ちに位置を変えるよう命じました。射撃は約10〜15分続きました。 その後、私たちは武器を捨て、建物を出るように命じられました。



それから彼はマイダンに戻りました。人々が怒り狂っているのを聞きました。 一部の人はウクライナ警察の発砲だと信じていました。反対に、他の人は、発砲したのは抗議者側だと思いました。

「私は、これはひどいことになると思いました。まずい立場です。 もし人々が真実を知ったら、私をここで引き裂くだろう。 私はメイダンへ散歩に出かけました。 高飛びする時だと決めました。私はタクシーで空港へ行きました」とレヴァジシビリは結びました。


スプートニク・レポートは、次の言葉で終わります:

2月20日の早朝、約8時に、貯蔵所から銃声の音が聞こえました。3〜4分後、 マムラシュビリのグループはホテル・ウクライナの3階の窓から発砲しました。 彼らはペアで発砲していました。 それぞれの発砲の後、別の部屋に移動し、再び発砲しました。 それが終わったとき、彼らは我々に脱出するように言いました。同じ日、ベゾーと私はトビリシに飛びました。


驚愕のレポートは次のように終わります:

グルジア軍の元将校は、約束のお金を決して払われませんでした。今日、彼は元の「同僚」からの復讐を恐れています。

コバ・ネルガゼとアレクサンダー・レヴァジシビリは、ウクライナの裁判所で彼らの証言をする準備ができました。 スプークトニクは証言のコピーを入手しました。それは彼ら(狙撃兵)が弁護士アレキサンダー・ゴロシンスキー(Alexander Goroshinsky)と ステファン・レシュコ(Stefan Reshko)に渡したものです。 両人はウクライナ警察コマンド部隊の元メンバーの利益を代表します。 またスプークトニクは、マイダン事件の間に、ネルガゼとレヴァジシビリがキエフに到着したことを確認する航空券のコピーを持っています。


代替メディアをフォローする人は、狙撃兵の存在とマイダンの本当の話をよく知っていますが、 今や我々は、彼らは誰だったのか、何をしたのかを知ることができます。 さらに、スプークトニクの発表を見ると、彼らの法的証言に加えて、彼らがマイダン・クーデターの間にキエフにいたことを証明できます。 私たちは、クーデターがどう始まったのかをさらに学ぶことに一歩近づいています。 しかし、私たちは戦争の終わりに幾分か近づいています…不確実です。 これは、来るべき日々に信じられないほどの影響を与える可能性があります。 何か新しいことが起きた場合は、必ずお知らせします。


[関連記事] 戻る=>page top

[1] ウクライナに第2イスラエルを作るイスラエルの秘密計画 2014.12.03


[訳者コメント] 過去記事の論調

[1] 事件直後と一年後の記事
(1) Ukraine’s bloodiest day: dozens dead as Kiev protesters regain territory from police The Guardian 2014.02.20
URL: https://www.theguardian.com/world/2014/feb/20/ukraine-dead-protesters-police

(2) The untold story of the Maidan massacre BBC 2015.02.12
URL: http://www.bbc.com/news/magazine-31359021

どちらの記事もウクライナの治安部隊が抗議する市民に発砲したと書いている。 つまり当時の親ロシア派のウクライナ大統領ヤヌコーヴィチ(Viktor Yanukovych)のせいにする論調。 これは西側メディアの標準的な記事の書き方。The Guardianは今時は寄付と有料会員に依存するようになったので、 信頼できるようのなってきたが、この当時はダメ。記事はこの他にも多数ある。

[2] 2017年の記事
(3) Italian Journalist Claims Georgian Mercenary Snipers Killed Civilians During Ukraine’s 2014 Maidan Protests 2017.11.30
URL: https://www.polygraph.info/a/journalist-claims-georgian-mercenary-snipers-killed-civilians-during-maidan/28888892.html

(4)The Hidden Truth About Ukraine, Kiev Euromaidan Snipers Kill Demonstrators. Italian Documentary Bombshell Evidence 2017.11.30
URL: https://www.globalresearch.ca/the-hidden-truth-about-ukraine-italian-documentary-bombshell-evidence-kiev-euromaidan-snipers-kill-demonstrators/5619684

上記の2つ記事は本投稿の記事とほぼ同じ内容である。すなわちグルジアの狙撃兵がキエフ・マイダン広場で 警官隊とデモ隊の両方を狙撃したという内容。 ニュースの出所はロシアのスプートニク。信用できるGlobal Researchも同じ記事を書いている。

(5)Fake: Georgian Snipers Shot Maidan Demonstrators 2017.11.28
URL: https://www.stopfake.org/en/fake-georgian-snipers-shot-maidan-demonstrators/

(6) Fake Documentary on Georgian Snipers’ Participation in Maidan Developments  2017.11.28
URL: http://www.mythdetector.ge/en/myth/fake-documentary-georgian-snipers-participation-maidan-developments

この二つの記事は上記(3)のイタリア人ジャーナリストの記事がロシアのプロパガンであり、Fakeであると力説している。(6)はブログなので出所はハッキリしない。(5)の出所はwww.stopfake.orgはウクライナキエフのモヒラ・アカデミー国立大学の講師、卒業生、学生などで立ち上げられたサイトである。Fakeニュースを叩くと言っているが、単なる反ロシア団体で、自らFakeニュースを垂れ流している。

[3] 現在(2018年)の記事
ここで投稿した記事以外にはありません。主要メディアもこの件は報道していません。 スナイパーはウクライナ司法当局に拘束されているので、西側メディアは自由にインタビューできるはずですが全く報道されません。